ケアとキュア
その二つの言葉は、どこか響きが似ているのに、扱っている世界は少し異なります。
キュア(cure)はラテン語 curare に由来し、「治す」「回復させる」を意味します。
現代医療の中心にあるのは、このキュアです。壊れた部分を修復し、炎症を鎮め、痛みや症状を取り除く。その営みがどれほど尊く、どれほど多くの命を救ってきたか、あらためて述べるまでもありません。
一方、ケア(care)は同じくラテン語 cura から生まれ、「心にかける」「世話をする」「大切に扱う」を意味します。壊れた箇所ではなく、生きている全体に向けられたまなざしです。
興味深いのは、キュアは壊れた後に必要とされることが多いのに対し、ケアは壊れる前と、治った後にこそよく働くという点です。
身体が発する小さなサイン
身体は壊れるときは突然ですが、壊れる手前はいつも気づきにくいサインばかりです。
肩の張り、胃の重さ、眠りの浅さ、冷え、むくみ、呼吸の浅さ、月経の乱れ、気力の低下……
まだ病名には届かず、検査にも映らないけれど、身体には確かにサインがある。
東洋医学はこの領域を未病と呼びました。未だ病まずと書きますが、”まだ、大丈夫”ではありません。”すでに兆している”という含みを持ちます。
脈をとり、舌を見て、腹を診て、四季と年齢と体質を重ねながら、その静かな声を拾い上げてきました。
鍼灸や漢方はケアの医学と言えるでしょう。
未病のうちに身体を整え、養い、負担を減らし、生きる力を底から支える。身体はもともと自ら回復しようとする力を持っています。ケアとはその働きに寄り添うことでもあります。
私自身の経験から
けれども、ケアがどれほど大切かを知るのは、案外いつも少し後になってしまうのかもしれません。かつての私がそうでした。
私は仕事が好きでしたし、学ぶことも好きでした。施術の世界に入るのが遅かったこともあり、「追いつかなければならない」と思っていました。
休日や仕事後は練習や勉強にあて、休息というものを後回しにしました。自分では施術を受けたり、食事に気を遣ったりとケアをしているつもりでしたが、実際には身体に休む時間を与えていなかったのです。
あるとき、突然、ひどい腰痛とめまいに襲われました。メニエール病が再発したような感覚でした。
痛みもめまいも、ある日を境に急にやってきたように思えましたが、今振り返れば、兆しはずっと前からあったのだと思います。本末転倒でした。
幸い、良い治療を受けることができて回復に至りましたが、それをきっかけに、私はようやく”症状”ではなく”生き方”と向き合いました。
ケアとは生活そのものの扱い方であり、未病の時間をどう生きるかということなのだと知りました。
ケアが支える、日々の健康
現代はどうしてもキュアの側に重心が置かれがちです。
異常が見つかれば治療が始まり、異常がなければ”問題なし”とされる。けれど健康とは異常の不在ではなく、日々の暮らしの中で育てられるものです。
ケアは、日々の小さな修復であり、少し地味です。けれどそのひとつひとつの丁寧なケアの中で、未来の身体はつくられています。
キュアが病を救うなら、
ケアは人生を支えると言えます。
その両方を持ってこそ、私たちは長い時間を健やかに生きることができます。
東洋医学という選択肢
東洋医学は、未病の時間を扱う数少ない医学でした。脈や舌や腹に触れ、季節や年齢を重ね、体質を読み取り、身体がまだ病んでいないうちに、その小さな声をすくい上げます。
鍼灸や漢方は、そのための道具として生まれました。
身体を壊す前に整え、壊れた後に立ち上がる力を支え、生活のなかで失われていくものを少しずつ補っていく方法です。
もし、未病の時間に耳を澄ませてみたくなったら、鍼灸や漢方という昔からの方法が、そっと寄り添ってくれるかもしれません。ひとつの選択肢としてご参考いただければ嬉しいです。
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